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第2回教員コラムを掲載しました

第2回 奇貨居くべし


 法科大学院を志望し、または在学する人たちの目標は、一部の例外を除いて、皆共通でしょう。目標達成には、与えられた資源(自己の能力、勉強のための時間、生活環境など)をいかに効率的に配分するかが、カギとなる。効率的に目標達成の力をえるには、やはり法律科目に重点的に自己のもつ資源を投入するのが、合理的であろう。
 岡山大学法科大学院でも、もちろん、法律科目の能力を培うのに必要十分なカリキュラム・勉強環境が整備され、提供されている(このような提供がされない法科大学院は、法科大学院たりえない)。
ただ、これは「惜しむらく」の感がしないではない。
 その昔、私が修士課程の頃、目標は博士課程進学、研究者であった。実定法学(私は商法。その他の基礎法学などでも同様だが)の研究者には、比較法的考察を、少なくともやろうと思えばできる能力が必要とされる。日本の商法を勉強したいのに、外国語が2か国語以上必要だ。英語はなんとかなるとして、もう1か国語の選択が必要となる。
 そこでほとんど初学だったがドイツ語をやることにした。だが指導教授は、「ドイツ法はいまさらよう教えん、自分でやれ」との仰せである。いまになって思えば、これは当たり前で、自分でできるようになることが大事であって、大学院の教育は、与えられる課題をやればよいというものではない。法科大学院でもある程度このことはいえる。
 そこで大学院生はこぞって、語学に堪能な先生が担当する西洋法制史の授業を受けていた。ここでは、ドイツ法制史学の大家が書いた書物(KOSCHAKER, “EUROPA UND DAS ROEMISCHE RECHT” 1966)を輪読していた。週1回の授業で、せいぜい3、4頁進むだけであるが、脚注も含めて精読する(ラテン語、中世ラテン語、中世ドイツ語、中世イタリア語などもでてきて、これらはちんぷんかんぷんであるが、先生は、「ああ、これは中世スペインの用語で、これこれという意味です」などと解説してくれて、受講生一同感嘆した)。修士課程1年次には、この授業準備でまる3日かかった。これを修士課程の2年間なんとかこなした(なんとかなるものである)。
 内容は商法とは無関係であったが、この授業によって得たものは、ドイツ語の読解能力(私自身はこの能力はほとんど失われつつある)にとどまらず、もっと広くかつ奥深いものであった。自分の目標(博士課程進学、ドイツ商法文献の読解力獲得)からすれば、回り道であるが、やったかいがあったと今でも思っている。
 先に、「惜しむらく」と書いたのは、法科大学院では、提供すべき授業がすべて提供されているということである。回り道で出会う奇貨を得る機会が乏しいといえる。だが、岡山大学法科大学院には、多様な選択科目が用意されている。そこには奇貨を得る機会は開かれているのである。

(追記 奇貨の用語法がまちがっているかもしれませんが、ご海容ください)

(鈴木 隆元 准教授)

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